宿題と向き合う姿勢

塾では毎回必ず生徒に宿題を出します。

 

生徒のレベルに合わせて、数枚のプリントを次回までの宿題として渡します。

それを、次回の授業時に私が丸を付け、チェックをして授業時間内に生徒に返します。

間違えた箇所はその日のうちに修正、再度採点し丸になるまで同じ事を繰り返す。

 

これが、弊塾での宿題対応の大体の流れですが、生徒さんの宿題に対する向き合い方を見ていると、これがいろいろあって結構おもしろいです。

いかにも直前にやりました的に自分が分かるところだけ殴り書きのような宿題、分からないなりにもなんとかこれまでの知識を駆使して書き上げた宿題、途中で力尽きてしまった宿題、何もしていない宿題。

ちなみに宿題を何もしていない、もしくは途中までしかしていない場合は、授業時間後に最後まで終わらせてから帰宅する事になっています。

 

ほとんど毎回、宿題をしてこない生徒さんがいます。

最初のうちは次回は必ずやってくるようにと口すっぱく言っていたのですが、今はそう言うのをやめました。

決して放棄したわけではありません。その子は授業後に居残り、宿題をきっちり終わらせて帰ります。当たり前のように毎日数十分追加の勉強をしてから帰ります。

これもありか、と思ったわけです。どうしても家での勉強が難しい子は別なところでその分の勉強時間を作れば結局同じではないかと。

授業の直前になって条件反射的に解けそうな問題だけ手を付けて来て時間通りに帰ってしまう生徒より、全くしてこないけど居残りながら塾で集中して宿題を終わらせる生徒の方が、よほど知識が身についている気がします。

 

一方でこんな子もいます。

宮城県最大の模試で「新みやぎ模試」がありますが、この塾にはその新みやぎ模試で県内第2位の成績を取る生徒さんがいます。

その子への毎回の宿題は、学力レベルに合わせてやや難しめなものが多いのですが、毎回ほぼ完ぺきです。

それでもたまには不正解があるのですが、そのつぶし方が何というか容赦がなく徹底的です。

まるで潔癖症の人のように、汚点を音速で消去し立ち去っていくかのようです。

勉強においては、汚点を一つも残したくない潔癖症な性格は”強み”になります。

 

その子の更にいいところは、正解している問題でも正解に至る過程で少しでも自分の予測やカンが入っていた場合は、きちんと裏付けを取るという作業(講師に聞く、解説を熟読するなど)をしているところです。

まさに宿題を”勉強”にしている姿です。

 

宿題の解き直しに後ろ向きな子は、宿題を「作業」としか思えず、「勉強」をしているという意識があまり無いのだと思います。

もし勉強しているという意識があるのであれば、間違った問題は気になって仕方ないはずです。どうやって解くんだろうと求めずにはいられないはずです。

そういう気持ちはどうしたら出来るのだろう、どうしたら生徒に伝えられるのだろうといつも思います。

 

もしかしたら、宿題はするが解き直しをしない生徒は、宿題を忘れてくる生徒よりも根が深いのかもと、宿題を通して考えさせられています。

 

今日の一句

『宿題は、作業ではなく勉強だ!』