作文で ”光る文章” を書くためには

文章を作る力というのは改めて本当にすごいと思います。

こういう仕事柄、非常に多くの生徒さんの作文を読ませて頂く機会があるのですが、時々これはすごいなと思わせる文章に出会うことがあります。

塾での作文指導は、まず練習問題としてあるテーマを与え、それについての自分の考えを短時間でまとめ作文にしてもらい、それを添削後、なるべく記憶の新しいうちに生徒さんに添削内容の説明をするようにしています。

 

そんな中、作文練習だけにしておくにはちょっともったいないような、とても”光ってる文章” を書いてくる生徒さんがたまにいます。

「光る文章」に出会ったときには、読みながらも ”心が躍る” という経験をさせてもらえるので、とても楽しい時間となります。

書いた人の気持ちがビシビシ伝わってきて、早く先が読みたくなります。

 

いつだったか課題を出したある子の作品(あえて作文ではなく作品とします)なのですが、テーマは「家族について」、誰でもいいので誰か一人を選んで、今のその人への自分の思いを作文にしてもらいました。

その子には受験生のお兄ちゃんがいて、日ごろ一生懸命勉強している兄の姿を見ながら、ぜひ頑張って受験に合格してほしい、自分も邪魔にならないようできる限りのことをしてあげたい、というような心温まるような内容でした。始めのうちは。

その後読み進めていくと、お兄ちゃんを応援する真の理由がありそれが明らかになるのですが、予想を裏切る内容のそれは、とても魅力的な文章で綴られていて、私には光り輝いて見えました。

詳しくご紹介出来ないのが本当に残念ですが、そのシュールでユーモアに富んだ内容は印象深くいつまでも心に残り続けています。

 

いわゆる「うまい文章」を書く子というのは実は結構いらっしゃいます。

『あるテーマに対して、正しいと思う事の理由付けをきちんとして、これからはこうならなければならない、だから自分もこうしていきたいのだ』

という文章が順序立てて正しい言葉遣いで書かれている。

これは「うまい文章」です。

国語と作文の勉強を、地道にコツコツと長期間、そしてまじめにやり続けることで、ようやくそうした文章が書けるようになってきます。

ただ、

残念ながらこれだけでは、光る文章にはなりません

 

光る文章にするために、そこに加えないといけないものは何でしょう?

 

私は、その一つは「豊かな想像力」だと思っています。

 

豊かな想像力が込められた文章には、人の心を動かす力があります。

何故ならそれは、よくある一般的な文章では無くなっているからです。

うまいだけの文章では、一般的なものが多用された結果、人の心に響きにくいものになってしまっている可能性があります。

つまり、

『(一般的に)正しいと思われる事の理由付けをして、(一般的に)これからはこうならなければならないのだということを書き、だから自分は(一般的な)こういうことをしていきたいのだ』

という文章になっていると、なんとも面白味のないありきたりの文章になってしまいます。

 

例えば、

「イヌワシという今絶滅の危機に瀕している鳥がいて、その原因の一つが人間によるリゾート開発や宅地開発によって生態系が変えられたことが挙げられる。」

という題材に対して、あなたなら自分の意見をどういう風にまとめますか?

 

(作文例1)

「今よりもっとたくさんのイヌワシが生息していた昔の日本を取り戻すために、身勝手な人間による開発は見直す時期に来たのではないだろうか。絶滅してから悔やんでももう遅いのである。人間とイヌワシが共存共栄できる世界にするため、今すぐにでも私たちは出来ることを考え行動に移していく必要があるのだ。」

(作文例2)

「生態系が変わることは決して悪いことばかりではないと思う。例えば、大昔に無敵を誇っていた恐竜がもし今も生き続けていたとしたら、人間は存在していなかったかもしれないのだ。恐竜が絶滅してくれたおかげで、人間が大活躍する世界が作り上げられた。そう考えるとイヌワシも今が世代交代の時期なのかもしれないし、いずれは人間も別の動物に支配される日が必ず来るだろう。」

 

どちらの文も「うまい文章」です。

しかしどちらがより鮮明に読者の記憶に残るでしょうか?

 

例1の文章では、イヌワシの絶滅はダメ、リゾート開発も悪、というように一般的にもよく言われている意見をそのまま自分の考えとして展開しています。

決して悪くはないのですが、はっとする驚きがなく、何となく展開が予想できる文章になっています。

例2のように少し視点を変えることで、新鮮な驚きとともに作者の個性を垣間見るようなある種の世界観が広がってくるように感じます。

一般的に言われていることに対して、少し別の視点で見ようとする ”豊かな想像力” があれば、いろいろな切り口でそのテーマを料理することが出来るようになり、光る文章に辿り着く可能性も自ずと高くなります。

 

それともう一つ、光る文章を作るためにとても重要な要素があると思っています。

 

それは、”多様な語彙(ごい)力” です。

 

同じ事を伝えるにも、どれだけ魅力的な言葉でそれを伝えられるかは、その人の持っている語彙力の差になります。

「彼女は私を見て笑った」

より

「彼女は満面の笑みを私に向けた」

の方が、彼女の表情や気持ちまで読み取れるような気になると思います。

言葉の一つ一つを大事に扱い、言いたいことを余すことなく伝えきれるような言葉選びが出来ること、これが光る文章を作るためのもう一つの大事な要素になります。

 

うまいと言われる作文を書くためのいわゆる王道の指導法はあります。

段落の構成、各段落ではどのように主張を展開するか、途中何を挿入すると良いか、最後はどうまとめるか、などは作文の基本事項なのでもちろん授業でもお伝えはするのですが、それだけで光る文章になるという保証にはなりません。

 

光る文章にするための最後のエッセンスは、”豊かな想像力” と ”多様な語彙力” です。

 

どちらも、磨くには相当長い時間が必要です。

ですが、日常の生活の中でも意識しさえすればそれらを磨いていくことはできます。

・世の中で一般的に正しいとされていることを一度疑ってみる。

・誰かが難しい言葉を言ったらすぐにその意味を聞き返す。

くらいは、すぐにでも実践できるようなことではないでしょうか。

また、本の中には”豊かな想像力” と ”多様な語彙” のどちらもふんだんに含まれているので、読書好きはここでも一歩先を行くことが出来ます。

 

中学受験、高校受験、大学受験、入社試験、その他さまざまな場面で作文の力が試されています。

そしてその重要度も今後はもっと高くなっていくことが予想されます。

何故なら、作文はその人の「資質」を見極めるための最も良いツールだからです。

 

皆さんの、「うまい文章」から「光る文章」への飛躍を期待しています!

 

勉強時間は多いのに点数が伸びない子あるある

毎日勉強机に向かい、それなりに時間を掛けて勉強しているのに、なぜかなかなかそれが成績につながらないという子が相当数います。

そんな子たちの様子を注意深く見ていると、だいたい皆同じような傾向があることに気づきます。

きっと耳の痛い生徒さんもいるかとは思いますが、ここであえて紹介してみたいと思います。

 

~勉強時間は多いのに点数が伸びない子あるある~

<「作業する」「まとめる」事が好き>

やったつもりになってるだけの勉強をひたすらしている人がいます。

実は、かなりの人がこの勉強法をしています。

具体的には、

・教科書の内容をきれいに写す(だけ)

・時間を掛けてきれいなノートを作る(何色ものペンを駆使して)

・ノートに同じ単語や熟語を書きまくる

のような勉強です。

実際、手を動かして時間もかけているので、周りの人はもちろん自分自身でさえも勉強できていると錯覚してしまいますが、肝心の内容の理解はというと、かなり不足しています。

それでも何故それをしてしまうのかというと、「手っ取り早いから」です。

あまり考えることなくすぐに始めることが出来て、何よりも頭が疲れないからです。

そして頭が疲れない割には、ちゃんと成果(らしきもの)が残ります。

あまりやる気が起きないとき、部活で疲れているとき、何から手を付けていいか分からないときなどは、とりあえずこの方法で勉強っぽいことをやっちゃえ、となるわけです。

しかしこれでは、書きまくったものはたくさん残っても、残念ながら脳の中に大切な情報がほとんど残りません。

なぜなら、脳の中に入れる=記憶する、脳の中から出す=解く、という行為がほとんど行わていないからです。

まあ、やらないよりはましなのですが、

「労多くして功少なし」

時間を掛けてる割にはなかなか効果が上がらない勉強法であることは間違いありません。

 

<「記憶する」「解く」事が嫌い>

作業のような勉強、まとめるだけの勉強、書きまくるだけの勉強をしがちな子が特に嫌がる事、それが、「記憶する」と「解く」ことです。

前述したとおり、記憶するとは脳に情報を入れることであり、解くことは脳の中の情報を出す・使うことなのですが、実はこの作業は人間のエネルギーを大量に消費します。

よく、「勉強しかしてないけど腹減ったなぁ」という事がありますが、それは実は全然気のせいなんかではなく、本当に大量のエネルギーを消費することからくる当然の反応なのです。

そんな大量なエネルギーを消費して初めて、「記憶力」や「論理的思考力」が少しずつ獲得することが出来ます。

そして、当然それは、お腹がすくくらいですからけっこうな疲れを伴います。

その疲れることを意識的もしくは無意識的に避けてしまう子は、どうしても「記憶することが嫌い」、「解くことが嫌い」となるわけです。

 

少しでも楽をして勉強したい、疲れていてもとにかく先に進ませたいという気持ちはよく分かります。

でもそういった省エネ運転ばかりしていては、いつまで経ってもニセモノの学力しかつきません。

その事に早く気付いてもらいたいと思います。

 

では、どのように勉強するかですが、答えは簡単で、「記憶する」と「解く」をひたすら繰り返すだけです。

当たり前でしょ、と言われそうですが、なかなかそれを実践できる人がいないことも事実です。

よく、最初から「解く」だけをする人がいますが、これはダメです。

初めて学んだ分野については、必ず始めに『記憶する時間』を作ってください。

解く量にもよりますが、だいたい5~10分程度をひたすら記憶することだけに充てましょう。

教科書、参考書の概要・要点部分を使って記憶します。

それから「解く」です。

覚えた箇所に対応する問題集を使って、今度はひたすら「解き」ます。

覚えた箇所を見返してはいけません。自力で解きます。

これもよく見る光景ですが、問題を解いている最中に、忘れてしまった部分を教科書や参考書をチラチラ見返して書き写す人がいます。

これだと解き直しの際に困ります。どこが出来なかった問題なのか後で分からなくなってしまいます。

記憶することの重要性を軽く見てしまうとこうなります。

あと、変に完璧主義の子、プライドの高い子もやりがちな事です。

 

勉強とは、『分からないことを分かるようにする』ことですから、まず分からない部分を見つけない事には何も始まりません。

そしてその分からない部分を分かるようになるまで、「記憶する」→「解く」をただ繰り返すだけです。

 

 ✕「作業する」「まとめる」

 〇「記憶する」「解く」

 

普段の勉強の中で、常にこのことを意識していれば、必ず成績は上がります。

 

中学受験について思う事

 

現在わかば学舎では、中学受験を希望される小学生の皆さんを快く受け入れております。

ただ、ひと昔前の私はというと、塾講師でありながら中学受験に対してはかなり否定的でした。

 

どうして、精神的にまだまだ未成熟な小5、小6くらいの子たちに、入試という過酷な試練を課さなければいけないのかと。

もし結果がダメだった場合、心に大きな傷を負ってしまわないだろうかと。

 

しかし今では少し考えが変わっています。

 

中学受験用の問題を見ていると分かります。

いかにもな難問は別としてですが、まっとうな中学受験用の受験勉強であれば、小6までの時期に中学生レベルの国語の良質な文章を多く読む機会が与えられ、算数においても思考力・計算力を鍛え上げる勉強をすることが出来ます。

それは、今後の中学、高校の学習にとってむしろプラスにしかならない、そう思うようになりました。

受験結果がどうであれです。

 

またこの一番の頭脳成長期に、受験対策として「読解力」や「思考力」を磨き上げてきて、なおかつ受験の大変さ、負けた悔しさを知っている中学受験経験組は、高校受験ではめちゃくちゃ強いです。

中学受験で成功しようが失敗しようが、その経験は必ず今後の糧になります。

 

とは言っても、すべての人が中学受験をすべきだとは思っていません。

 

少なくとも基礎的な学力がある人、学校のテストでは90点以上を必ず取れる人に限ります。

基礎力無くして思考力は鍛えられないからです。

基礎力がまだ完全についていない場合は、無理をして受験すべきではないと思います。

 

東京などの首都圏に比べたら宮城は中学受験熱はさほど熱くない地域かと思いますが、それでも仙台二華中や青陵中などの公立中高一貫校は志願倍率も高く、合格を勝ち取るのはそれはそれは大変なことなのです。

 

もし中学受験を我が子にとお考えの親御さんはまず、

 

 1.子どもに『基礎力』は身についているか

 2.子どもの受験意欲はあるか

 3.親御さんが子どもの勉強をサポートできるか

 

この全てがクリアできているかをまず考えてみてください。

特に、中学受験に限っては「3.親御さんが子どもの勉強をサポートできるか」が重要になってきます。

中学受験用の問題ともなれば大人でもなかなか解くのが難しく感じると思いますが、それでも子どもの勉強には何らかの形で関わってもらいたいと思います。

 

何も勉強の中身だけを見るのがサポートではありません。

目標の設定スケジュール作成教材の選定進み具合の確認時間の管理弱点の指摘などなど、周辺のサポートはいくらでもあります。

 

そして何よりメンタルのケア

 

高学年とはいえまだ小学生なのですから、遊びたい、楽をしたいという気持ちが起こってくるのは当然で、最初に抱いた情熱がしだいに冷めてくるかもしれません。

そんな時にさりげなく一声掛けたり、タイミングよく気分転換を勧めてくれたりするのは、やはり子どもの性格をよく知った親御さんしかいません。

 

子どもにとって中学受験は人生一度きりの経験です。

どうか、苦痛だけの記憶しか残らないような受験にはしないでもらいたいと思います。

 

仕事でなかなか子どもと会話する機会を持てないかもしれません。

最初に決めるときは会話をしたけど、それ以降はあまり子どもと関われていないという親御さんもいるかもしれません。

 

ただ、親が仕事に逃げているうちは、残念ながらその受験はうまくはいかないです。

 

ケアレスミスがなくならない

ケアレスミス、まいっか…

定期テストや模試の結果を見て、「うちの子、今回ケアレスミスが無かったらいい点数だったんですけど(^^)」という親御さんや、「くっそー、今回はケアレスミスにやられたなあ(^^)」という生徒さんがよくいらっしゃいます。

ケアレスミスは多かれ少なかれ、誰でも一度は経験しているので慣れてしまっているかもしれませんね。


しかし、ケアレスミスを完全に撃退するのは難しく、とてもじゃないですが笑顔で語れるものではありません。

もし本気でケアレスミスを無くすのであれば、それはもう神経をすり減らすような消耗戦をする必要があります。


笑っているうちはミスは減りません。


ではどうすればいいでしょうか。


ミスを減らすためには、まずそのミスをきちんと重く受け止めることです。


自信を持って書いたはずの答えなのにどうしてミスったのか、自分はどんな場面でミスをしてしまったのか、とことん分析しないといけません。


自信をもって書いた答えのケアレスミスは見つけにくい
ものです。なぜなら、答えに絶対の自信があるので逆にその自信がバリアーとなってしまい、ミスを気付かせにくくしてしまうからです。


そういったミスが多かった場合の対処法は、塾の生徒さんにはよく言いますが、見直しをするときには自分の答えをまず疑ってかかることです。
絶対に間違いがあるはずだと。


間違ってるだろうと思いながらの見直しは、合ってるだろうと思いながらの見直しに比べて、ミスを見つける確率が高くなります。
なぜなら、自然とチェックする箇所が増えてくるからです。


例えば英語の答えなら、スペルは? 複数形か? 三人称単数のsは? 過去形では? というように、チェックする項目がどんどん増えているはずです。
そういった見直しは頭も使って時間もかかり、きつい作業です。でもきっとミスが見つかります。


一方、合ってるだろうと思いながらの見直しでは、このチェック項目が無意識的に少なくなっています。
そういった見直しはすぐに終わるし、楽に終わります。でもきっとミスが見過ごされます。


もう一度言いますが、ケアレスミスをなくすのは自分の過信との戦いです。
消耗戦です。疲れます。


でもここが、高得点を取るか、あと一歩のところで終わるかの分かれ目です。


結局はケアレスミスも実力なのだということを認識しましょう。


「スペルミス」も「計算間違い」も「符号つけ忘れ」も全部実力です。

ほとんど出来ていた=〇ではないのです。✖なのです


テスト返却後、間違えてしまったところを改めて分析するのは、かなりしんどいし気の重い作業です。

しかし、そこを我慢して我慢して何とか向き合って続けていくことでしかケアレスミスを減らすことはできません。



勉強に前向きな子の”親”の共通点

普通、勉強へのやる気は簡単には沸かないものです。

それでも中には、何かがきっかけとなって、急にやる気が出たという生徒さんもいるにはいます。

ですが、そのやる気・勉強への前向きさがずっと途切れないで続く人というと、ごく限られた人となってしまいます。

そのことは、毎週取り組む宿題の量だったりその質だったりを見ているとよく分かります。

 

では、そういった勉強への前向きさがずっと続く人には何か共通点はないかと考えてみると、保護者の方にもいくつか共通することがあることに気づかされました。

今回はそんな保護者の方々の特徴をいくつかご紹介します。

 

1.目標を一緒になって見つけようとしている。

 

自分の目標が明確であればあるほど、そこへ向かおうとする気持ちは継続しやすいものです。

子供の目標を一緒になって考え、そしてその決めた目標を実現するための「プラン」を一緒に作っているようなご家庭は、生徒さんの前向きさが違います。

 

特に、子供は逆算することにあまり慣れていません。

つまり、自分の目標を達成するための道筋にどんな選択肢があるのかをよく知りません。

 

例えば将来なりたい職業・目標があるとして、そのためにはこの大学で勉強する必要があるけど、それにはこのレベル以上の高校に進んでおかないといけないな、だとしたらあとこれだけ点数をあげないとな、というような逆算をすることはなかなか子供だけでは難しい時があります。

 

そんな子供の悩みを察知し、自分の経験や知識をもとにした道筋プランを相談しあえるような関係が、前向きな生徒さんのご家庭では出来ています。

 

なぜか分からないけど勉強した方がいいからと言われてやる勉強と、目標達成のためにはどうしても必要だからとやる勉強では、継続性の度合いが違うこともうなづけます。

 

 

2.適度に干渉している。(放任には決してしない)

 

日々の生活に追われてくると、最初の目標がかすんできたり、ついつい自分に甘くなってくることは子供ならばよくあることです。

そんな時に適度に干渉できている(子供を放っておかない)ご家庭もまた、前向きな勉強を継続できています。

 

具体的には「目標の見直し」「時間管理」をとても上手に行っています。

子供の目標がまだ変わっていない場合は、もう一度その目標への意識付けを行ったり、そこまでの道筋の再確認を行ったりをしていますし、もし目標を見失っているようなときは、根気強くその理由を聞き出したり新しい目標づくりのために一緒に悩んだりしています。

そして、子供が納得して再スタートを切れるような心配りをしています。

 

そして時間の管理です。

自分への甘さが一番出てくるのが時間の管理です。

あるお母さんは、毎日の時間の使い方について、子供が最初に決めていたことをだんだんと守れなくなってきたなと感じた時、1回だけガッツリとダメ出しをするそうです。

そしてダメ出しをした後はもう同じことは言わず、見守るのだそうです。

 

子供は子供なりに、これではダメだと既に気付いているはずなので、その気持ちを引き締め直す「きっかけ」さえ与えてあげれば、元の時間の使い方に戻りやすいのではないか、ということでした。

「時間の管理」は崩れやすいものでありながら、一方で親の知恵と工夫で簡単に修正しやすいものでもあるんですね。

 

しかし「適度に干渉する」ためには、親子の信頼関係がしっかりできていることが大前提となります。

つまり、子どもにとって信頼できる親であることを普段の生活を通して示せているかということです。

 

良いことをしたら褒め、悪いことは叱り、善悪の違いは何なのかをよく話し合う、そんなコミュニケーションが普段からとれていれば、自然と子供は親を信頼するようになります。

また、親も子供を信頼できるようになります。

 

 

3.子供の勉強に参加している。

 

勉強に参加といっても色々なやり方を取っています。

まる付けを手伝いながら間違っているところ一緒に考え、弱点と思われる所を指摘してくれる方もいます。

もちろんその場で正しい答えを教えることが出来る必要はありません。

その部分は学校の先生や塾などで確認すればいいだけの話です。

重要なのは間違いやすいところを一早く見つけて修正の機会を与えてあげられることです。

 

そこまでではなくとも、テスト前には教科書を見ながら一問一答形式の問題を出してあげる方、英語や理科の暗記カードを子供と一緒に作ってくれる方など、何らかの形で子供の勉強に参加しているご家庭では、やはり子供の理解度に違いが出てきます。

 

勉強は基本的に孤独な作業ですから、その中でもし協力者や仲間のような存在がいてくれたら、そんな孤独な作業もやりがいのある事に思えてきて、その結果前向きな勉強ができているのではないでしょうか。

 

また、直接勉強に参加するわけではありませんが、親の姿を見て勉強に前向きになる場合もあります。

 

たとえば親が読書を習慣としているご家庭では、子供にも自然と読書の習慣がついていたりします。

親が仕事上で何か資格を取るために毎日勉強してたりすると、子供も勉強することがごく自然な当たり前のことに感じるようになってきます。

 

間違っても「親は学生時代を終えたからもう勉強なんてしなくていい」などと言ってはいけません。

いくつになっても自分を高めるための勉強は続けていくものという姿を、また時には苦労してあがき続ける姿を親が子供に見せることは、子供の向上心や探求心、知的好奇心をおおいに刺激し続けるものです。

 

 

まとめ

 

今回ご紹介させていただいた保護者の方々に共通する型は、一言で言うと、

『親も一緒に参加してゴールを目指す型』

です。

大人は仕事、子供は勉強などという変な区分けはせず、親は子供の勉強にどんどん参加し、子供も親の仕事に関心を持つような関係でいられることが一番なのではないかと思います。

そしてその大前提となるものが、普段のコミュニケーション、もっと言えば親のコミュニケーション力です。

 

決して、

『自分は何もせず指示だけ型』

にはならないでください。

勉強という孤独な作業が、ますます辛くしんどいものとなってしまいます。

これでは何の希望もなく、前向きにやろうなんていう気が起きなくても当然です。

 

ぜひ、親は子と同じ方向を向いて歩く、良き仲間、良き伴走者になってあげてください。