塾に通うことのメリット

塾に通うことのメリットって何でしょう?

 

難しい問題を解くヒントを聞けるから。

問題を解くためのテクニックを教えてもらえるから。

効率の良い勉強の仕方を教えてもらえるから。etc…

 

生徒さんが考えるメリットは色々とあるかもしれませんが、私が思う一番は、

毎週決められた時間に必ず勉強しかできない時間を確保できる

ことだと思います。

 

この時間は例外なく、必ず全員が勉強できます。

10分おきにスマホをチェックすることも無し。30分おきにベッドに寝転がることも無し。1時間おきに仮眠をとることも無し。

ただひたすら2時間、勉強だけに拘束されます。

 

これってかなり大きなメリットだと個人的には思っています。

自分が現役だった時のことを考えても、自分を勉強に縛りつける(られる)時間を確保出来たことが、塾を利用して本当に良かったなと思えたことでした。(講師の名言などは全然思い出せませんが^^;

 

そして逆に、塾に通わない場合の一番のデメリットもそれだと思います。

自分を勉強に縛りつける時間を、自分自身で見つけなければなりません。

これって、結構難しいことです。

特に中学生になると親の管理からも解放されがちで、自分の欲望のままに毎日を過ごしてしまいます。

テスト前でもなければ、自分を律して勉強机の前に座り続けるなんて、ほんの一握りの人しかできないのではないでしょうか?

 

だから、

せっかく塾に通っているのなら、あまり簡単には休まないほうがいいですね。

「疲れた」は「体調不良」ではありません。

「疲れた」けど、塾に行けば勉強ができるんです。

 

その「塾に通うことのメリット」を考えながら、生徒さんには塾に通ってきて欲しいなと思っています。

 

宿題と向き合う姿勢

塾では毎回必ず生徒に宿題を出します。

 

生徒のレベルに合わせて、数枚のプリントを次回までの宿題として渡します。

それを、次回の授業時に私が丸を付け、チェックをして授業時間内に生徒に返します。

間違えた箇所はその日のうちに修正、再度採点し丸になるまで同じ事を繰り返す。

 

これが、弊塾での宿題対応の大体の流れですが、生徒さんの宿題に対する向き合い方を見ていると、これがいろいろあって結構おもしろいです。

いかにも直前にやりました的に自分が分かるところだけ殴り書きのような宿題、分からないなりにもなんとかこれまでの知識を駆使して書き上げた宿題、途中で力尽きてしまった宿題、何もしていない宿題。

ちなみに宿題を何もしていない、もしくは途中までしかしていない場合は、授業時間後に最後まで終わらせてから帰宅する事になっています。

 

ほとんど毎回、宿題をしてこない生徒さんがいます。

最初のうちは次回は必ずやってくるようにと口すっぱく言っていたのですが、今はそう言うのをやめました。

決して放棄したわけではありません。その子は授業後に居残り、宿題をきっちり終わらせて帰ります。当たり前のように毎日数十分追加の勉強をしてから帰ります。

これもありか、と思ったわけです。どうしても家での勉強が難しい子は別なところでその分の勉強時間を作れば結局同じではないかと。

授業の直前になって条件反射的に解けそうな問題だけ手を付けて来て時間通りに帰ってしまう生徒より、全くしてこないけど居残りながら塾で集中して宿題を終わらせる生徒の方が、よほど知識が身についている気がします。

 

一方でこんな子もいます。

宮城県最大の模試で「新みやぎ模試」がありますが、この塾にはその新みやぎ模試で県内第2位の成績を取る生徒さんがいます。

その子への毎回の宿題は、学力レベルに合わせてやや難しめなものが多いのですが、毎回ほぼ完ぺきです。

それでもたまには不正解があるのですが、そのつぶし方が何というか容赦がなく徹底的です。

まるで潔癖症の人のように、汚点を音速で消去し立ち去っていくかのようです。

勉強においては、汚点を一つも残したくない潔癖症な性格は”強み”になります。

 

その子の更にいいところは、正解している問題でも正解に至る過程で少しでも自分の予測やカンが入っていた場合は、きちんと裏付けを取るという作業(講師に聞く、解説を熟読するなど)をしているところです。

まさに宿題を”勉強”にしている姿です。

 

宿題の解き直しに後ろ向きな子は、宿題を「作業」としか思えず、「勉強」をしているという意識があまり無いのだと思います。

もし勉強しているという意識があるのであれば、間違った問題は気になって仕方ないはずです。どうやって解くんだろうと求めずにはいられないはずです。

そういう気持ちはどうしたら出来るのだろう、どうしたら生徒に伝えられるのだろうといつも思います。

 

もしかしたら、宿題はするが解き直しをしない生徒は、宿題を忘れてくる生徒よりも根が深いのかもと、宿題を通して考えさせられています。

 

今日の一句

『宿題は、作業ではなく勉強だ!』

 

私、定期テストでは何点取ればいいの?

中学の定期テストで、自分は一体何点取ればいいのだろう? 

そして、自分はどの高校に行けるんだろう?

そんな疑問を持っている生徒さんに、ぜひ意識しておいて欲しいことをまとめてみます。

 

『今度の定期テストでは何点取ればいい?』

   ↓

1.それは、自分の志望校(行きたい高校)によって変わります。

   ↓

2.では、志望校のレベルを確認してみましょう!

   ↓

3.「みやぎ模試」の『偏差値一覧表』が役立ちます。(この表→)

   ↓

  一覧表にある、”80%合格点”に注目!!

  ”80%合格点”とは

  その高校にほぼ合格できるであろう「安全圏の点数」です。

  点数はみやぎ模試での点数(500満点中)です。

 

では、

「みやぎ模試」と「学校の定期テスト」との関係は??

 

模試(みやぎ模試)の点と定期テストの点の関係

 

一般的に模試の点数は、その人の定期テストの点数よりも低くなります。

どれくらいかと言うと、おおまかにですが大体50点程度低くなると考えてください。

 

その理由は、

出題範囲です。定期考査の出題範囲はせまく、直前に習ったところからしか出題されませんが、模試では今まで学習した所のすべてが範囲となります。

つまり、もう忘れてしまっている部分からもたくさん出題されるのです。

 

したがって、

 

学校の定期テストでは、一覧表の80%合格点よりも、50点高い点数を目標にしましょう!

 

定期テストの目標点 = 志望校の80%合格点 + 50点

 

具体的には次のようになります。

 

(例1) 志望校が『仙台三高

→模試80%合格点は402点なので、定期テストでは450点が目標

 

(例2) 志望校が『仙台南高

→模試80%合格点は367点なので、定期テストでは420点が目標

 

(例3) 志望校が『宮城野高

→模試80%合格点は331点なので、定期テストでは380点が目標

 

(例4) 志望校が『多賀城高

→模試80%合格点は305点なので、定期テストでは355点が目標

 

といった具合です。

 

これらは、あくまでも定期テストに向けた目標点です。

高校受験では、言うまでもなく本番当日までにどれだけ学力を高めていけるかが重要です。

もしかしたら、定期テストはあまり良くなくても本番では高得点できるかもしれないし、その逆の人もいるかもしれません。

 

要は受験本番が重要だから、学校の定期テストの結果で一喜一憂しないで、最後の半年のラストスパートで精いっぱいの力を出し切ろうと考えている人もいると思います。

 

それは一見正しいようですが違います。

 

実際はどうかというと、過去の塾生さんたちの進路を見ると、おもしろいほどに

『定期テストの点数』- 50点

くらいの高校に進学しています。

 

定期テストの結果には、一喜一憂した方がいいです。

 

結果が悪かった場合、何が足りなかったのか、何をしておけばこんな点数にならずに済んだのかを判ってから次に行くのと、気にしない気にしない、はい次頑張ろうだけで次に進んでしまうのとでは、進歩の度合いが大きく異なります。

 

この姿勢は受験勉強の時にもそのまま継続されます。

ある時を境に、例えば部活を卒業したからとか、9月になったからとかで勉強に対する姿勢が劇的に変化するようなことはありません。

 

中学校に入学してからの何度かの定期テストを通して、自分の勉強スタイルが良くも悪くも出来上がり、そのまま受験勉強期間へと突入していく人がほとんどです。

 

そう考えると、定期テストの点数が進学校を決めるための、ある程度のバロメーターになるというのは何ら不思議なことではないのです。

 

逆に言えば、定期テストへの取り組み方を通して、志望校のステージを上げることも可能ということです。

 

学校の定期テストを、自分を苦しめるものから、自分を変えるチャンスととらえられないでしょうか。

 

作文で ”光る文章” を書くためには

文章を作る力というのは改めて本当にすごいと思います。

こういう仕事柄、非常に多くの生徒さんの作文を読ませて頂く機会があるのですが、時々これはすごいなと思わせる文章に出会うことがあります。

塾での作文指導は、まず練習問題としてあるテーマを与え、それについての自分の考えを短時間でまとめ作文にしてもらい、それを添削後、なるべく記憶の新しいうちに生徒さんに添削内容の説明をするようにしています。

 

そんな中、作文練習だけにしておくにはちょっともったいないような、とても”光ってる文章” を書いてくる生徒さんがたまにいます。

「光る文章」に出会ったときには、読みながらも ”心が躍る” という経験をさせてもらえるので、とても楽しい時間となります。

書いた人の気持ちがビシビシ伝わってきて、早く先が読みたくなります。

 

いつだったか課題を出したある子の作品(あえて作文ではなく作品とします)なのですが、テーマは「家族について」、誰でもいいので誰か一人を選んで、今のその人への自分の思いを作文にしてもらいました。

その子には受験生のお兄ちゃんがいて、日ごろ一生懸命勉強している兄の姿を見ながら、ぜひ頑張って受験に合格してほしい、自分も邪魔にならないようできる限りのことをしてあげたい、というような心温まるような内容でした。始めのうちは。

その後読み進めていくと、お兄ちゃんを応援する真の理由がありそれが明らかになるのですが、予想を裏切る内容のそれは、とても魅力的な文章で綴られていて、私には光り輝いて見えました。

詳しくご紹介出来ないのが本当に残念ですが、そのシュールでユーモアに富んだ内容は印象深くいつまでも心に残り続けています。

 

いわゆる「うまい文章」を書く子というのは実は結構いらっしゃいます。

『あるテーマに対して、正しいと思う事の理由付けをきちんとして、これからはこうならなければならない、だから自分もこうしていきたいのだ』

という文章が順序立てて正しい言葉遣いで書かれている。

これは「うまい文章」です。

国語と作文の勉強を、地道にコツコツと長期間、そしてまじめにやり続けることで、ようやくそうした文章が書けるようになってきます。

ただ、

残念ながらこれだけでは、光る文章にはなりません

 

光る文章にするために、そこに加えないといけないものは何でしょう?

 

私は、その一つは「豊かな想像力」だと思っています。

 

豊かな想像力が込められた文章には、人の心を動かす力があります。

何故ならそれは、よくある一般的な文章では無くなっているからです。

うまいだけの文章では、一般的なものが多用された結果、人の心に響きにくいものになってしまっている可能性があります。

つまり、

『(一般的に)正しいと思われる事の理由付けをして、(一般的に)これからはこうならなければならないのだということを書き、だから自分は(一般的な)こういうことをしていきたいのだ』

という文章になっていると、なんとも面白味のないありきたりの文章になってしまいます。

 

例えば、

「イヌワシという今絶滅の危機に瀕している鳥がいて、その原因の一つが人間によるリゾート開発や宅地開発によって生態系が変えられたことが挙げられる。」

という題材に対して、あなたなら自分の意見をどういう風にまとめますか?

 

(作文例1)

「今よりもっとたくさんのイヌワシが生息していた昔の日本を取り戻すために、身勝手な人間による開発は見直す時期に来たのではないだろうか。絶滅してから悔やんでももう遅いのである。人間とイヌワシが共存共栄できる世界にするため、今すぐにでも私たちは出来ることを考え行動に移していく必要があるのだ。」

(作文例2)

「生態系が変わることは決して悪いことばかりではないと思う。例えば、大昔に無敵を誇っていた恐竜がもし今も生き続けていたとしたら、人間は存在していなかったかもしれないのだ。恐竜が絶滅してくれたおかげで、人間が大活躍する世界が作り上げられた。そう考えるとイヌワシも今が世代交代の時期なのかもしれないし、いずれは人間も別の動物に支配される日が必ず来るだろう。」

 

どちらの文も「うまい文章」です。

しかしどちらがより鮮明に読者の記憶に残るでしょうか?

 

例1の文章では、イヌワシの絶滅はダメ、リゾート開発も悪、というように一般的にもよく言われている意見をそのまま自分の考えとして展開しています。

決して悪くはないのですが、はっとする驚きがなく、何となく展開が予想できる文章になっています。

例2のように少し視点を変えることで、新鮮な驚きとともに作者の個性を垣間見るようなある種の世界観が広がってくるように感じます。

一般的に言われていることに対して、少し別の視点で見ようとする ”豊かな想像力” があれば、いろいろな切り口でそのテーマを料理することが出来るようになり、光る文章に辿り着く可能性も自ずと高くなります。

 

それともう一つ、光る文章を作るためにとても重要な要素があると思っています。

 

それは、”多様な語彙(ごい)力” です。

 

同じ事を伝えるにも、どれだけ魅力的な言葉でそれを伝えられるかは、その人の持っている語彙力の差になります。

「彼女は私を見て笑った」

より

「彼女は満面の笑みを私に向けた」

の方が、彼女の表情や気持ちまで読み取れるような気になると思います。

言葉の一つ一つを大事に扱い、言いたいことを余すことなく伝えきれるような言葉選びが出来ること、これが光る文章を作るためのもう一つの大事な要素になります。

 

うまいと言われる作文を書くためのいわゆる王道の指導法はあります。

段落の構成、各段落ではどのように主張を展開するか、途中何を挿入すると良いか、最後はどうまとめるか、などは作文の基本事項なのでもちろん授業でもお伝えはするのですが、それだけで光る文章になるという保証にはなりません。

 

光る文章にするための最後のエッセンスは、”豊かな想像力” と ”多様な語彙力” です。

 

どちらも、磨くには相当長い時間が必要です。

ですが、日常の生活の中でも意識しさえすればそれらを磨いていくことはできます。

・世の中で一般的に正しいとされていることを一度疑ってみる。

・誰かが難しい言葉を言ったらすぐにその意味を聞き返す。

くらいは、すぐにでも実践できるようなことではないでしょうか。

また、本の中には”豊かな想像力” と ”多様な語彙” のどちらもふんだんに含まれているので、読書好きはここでも一歩先を行くことが出来ます。

 

中学受験、高校受験、大学受験、入社試験、その他さまざまな場面で作文の力が試されています。

そしてその重要度も今後はもっと高くなっていくことが予想されます。

何故なら、作文はその人の「資質」を見極めるための最も良いツールだからです。

 

皆さんの、「うまい文章」から「光る文章」への飛躍を期待しています!

 

勉強時間は多いのに点数が伸びない子あるある

毎日勉強机に向かい、それなりに時間を掛けて勉強しているのに、なぜかなかなかそれが成績につながらないという子が相当数います。

そんな子たちの様子を注意深く見ていると、だいたい皆同じような傾向があることに気づきます。

きっと耳の痛い生徒さんもいるかとは思いますが、ここであえて紹介してみたいと思います。

 

~勉強時間は多いのに点数が伸びない子あるある~

<「作業する」「まとめる」事が好き>

やったつもりになってるだけの勉強をひたすらしている人がいます。

実は、かなりの人がこの勉強法をしています。

具体的には、

・教科書の内容をきれいに写す(だけ)

・時間を掛けてきれいなノートを作る(何色ものペンを駆使して)

・ノートに同じ単語や熟語を書きまくる

のような勉強です。

実際、手を動かして時間もかけているので、周りの人はもちろん自分自身でさえも勉強できていると錯覚してしまいますが、肝心の内容の理解はというと、かなり不足しています。

それでも何故それをしてしまうのかというと、「手っ取り早いから」です。

あまり考えることなくすぐに始めることが出来て、何よりも頭が疲れないからです。

そして頭が疲れない割には、ちゃんと成果(らしきもの)が残ります。

あまりやる気が起きないとき、部活で疲れているとき、何から手を付けていいか分からないときなどは、とりあえずこの方法で勉強っぽいことをやっちゃえ、となるわけです。

しかしこれでは、書きまくったものはたくさん残っても、残念ながら脳の中に大切な情報がほとんど残りません。

なぜなら、脳の中に入れる=記憶する、脳の中から出す=解く、という行為がほとんど行わていないからです。

まあ、やらないよりはましなのですが、

「労多くして功少なし」

時間を掛けてる割にはなかなか効果が上がらない勉強法であることは間違いありません。

 

<「記憶する」「解く」事が嫌い>

作業のような勉強、まとめるだけの勉強、書きまくるだけの勉強をしがちな子が特に嫌がる事、それが、「記憶する」と「解く」ことです。

前述したとおり、記憶するとは脳に情報を入れることであり、解くことは脳の中の情報を出す・使うことなのですが、実はこの作業は人間のエネルギーを大量に消費します。

よく、「勉強しかしてないけど腹減ったなぁ」という事がありますが、それは実は全然気のせいなんかではなく、本当に大量のエネルギーを消費することからくる当然の反応なのです。

そんな大量なエネルギーを消費して初めて、「記憶力」や「論理的思考力」が少しずつ獲得することが出来ます。

そして、当然それは、お腹がすくくらいですからけっこうな疲れを伴います。

その疲れることを意識的もしくは無意識的に避けてしまう子は、どうしても「記憶することが嫌い」、「解くことが嫌い」となるわけです。

 

少しでも楽をして勉強したい、疲れていてもとにかく先に進ませたいという気持ちはよく分かります。

でもそういった省エネ運転ばかりしていては、いつまで経ってもニセモノの学力しかつきません。

その事に早く気付いてもらいたいと思います。

 

では、どのように勉強するかですが、答えは簡単で、「記憶する」と「解く」をひたすら繰り返すだけです。

当たり前でしょ、と言われそうですが、なかなかそれを実践できる人がいないことも事実です。

よく、最初から「解く」だけをする人がいますが、これはダメです。

初めて学んだ分野については、必ず始めに『記憶する時間』を作ってください。

解く量にもよりますが、だいたい5~10分程度をひたすら記憶することだけに充てましょう。

教科書、参考書の概要・要点部分を使って記憶します。

それから「解く」です。

覚えた箇所に対応する問題集を使って、今度はひたすら「解き」ます。

覚えた箇所を見返してはいけません。自力で解きます。

これもよく見る光景ですが、問題を解いている最中に、忘れてしまった部分を教科書や参考書をチラチラ見返して書き写す人がいます。

これだと解き直しの際に困ります。どこが出来なかった問題なのか後で分からなくなってしまいます。

記憶することの重要性を軽く見てしまうとこうなります。

あと、変に完璧主義の子、プライドの高い子もやりがちな事です。

 

勉強とは、『分からないことを分かるようにする』ことですから、まず分からない部分を見つけない事には何も始まりません。

そしてその分からない部分を分かるようになるまで、「記憶する」→「解く」をただ繰り返すだけです。

 

 ✕「作業する」「まとめる」

 〇「記憶する」「解く」

 

普段の勉強の中で、常にこのことを意識していれば、必ず成績は上がります。